宮中行事と御節供料理(奈良時代~平安時代)

中国から伝わった「節」の行事は日本に定着していき、奈良時代から平安時代にかける頃になると宮中行事となっていきました(*´ー`*人) 

暦の上で節目にあたる日(節日)に、邪気を祓い不老長寿を神様に祈願する儀式として、お供えをし宴を開くようになり、この宮中行事のことを「節会(せちえ)」といいました(●´∀`●)/

 

平安時代当時の節会のなかでも、1月1日の元日、1月7日の白馬(あおうま)、1月16日の踏歌(とうか)、5月5日の端午(たんご)、11月の新嘗祭(にいなめさい)最終日の豊明(とよのあかり)が特に重要とされていて、五節会といわれていました*。٩(ˊᗜˋ*)و*。

そして、この節会で供された食べ物のことを「御節供(おせちく)」といい、現代の「おせち料理」の語源となったと言われています☆

 

しかし、平安時代の御節供料理というのは、高盛りにしたご飯などであり、現在のおせち料理とはかなりイメージの違うものであったようです(σ・∀・)σ

現在のおせち料理の基礎ともなった正月料理が登場するのは、江戸時代に入ってからのことです(●´∀`●)/

 

参考資料

http://osechiryouri.com/mame/rekishi.html