庶民への普及

平安時代以降、御節供料理は宮中や幕府でのみ供されてきましたが、それが庶民に広まったのは江戸時代のことです*。٩(ˊᗜˋ*)و*。

その際、五節すべてを祝う料理だった御節供は、正月だけに出される料理として定着していきます(*´∇`*)

 

この時代には、さまざまな食文化が誕生したので、それに伴って御節供料理の品数も増えてきました(●´∀`●)/

そして、江戸時代の後期には新しい年を祝う料理として、品のひとつひとつに縁起の良い意味が込められていったのです( ●≧艸≦)★

 

また、江戸時代には庶民の間にも重箱が普及し、御節供料理にも使用され始めましたヽ(=´▽`=)ノ

ただし、当時は硯蓋(すずりぶた)というお盆状の器に祝い料理を盛るのが流行っており、御節供料理といえば重箱という認識が一般化されたのは明治になってからですo(*⌒―⌒*)o

 

 

参考資料
https://www.positive.co.jp/kandou-nippon/product/osechi/column/column08.html